karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

猫の写真へたくそ選手権

今週のお題「ねこ」

 

「犬派? 猫派?」というお題で、2016年に記事を書いたことがある。

結論から言うと私は「犬派」である。

・私は、犬とのつきあいは長いが、猫とのつきあいはほとんど経験がない。

・私が子供の頃、近所のノラ猫に近づいてもしょっちゅう逃げられていた。

・うちで飼ってきた歴代犬は、「近所の猫によく挑発される」→「抵抗を試みても、猫に垂直移動をされて、はいおしまい」パターンの行動をしょっちゅう取っていた。

・庭犬として飼っていた犬を、家族が座敷で飼うように変更したことがある。その後、外で使っていた犬小屋は猫に乗っ取られてしまった。

 といった経験からくるイメージが大きいからだ。

ただ、私は猫も好きだ。猫の奔放なイメージも好きだ。一度猫カフェに行ってみたいが、うちの田舎には猫カフェがない。残念。

「猫派ではない」というより、「猫とつきあった経験がほとんどないから、イメージが持てない」といった感じである。

今週のお題「犬派? 猫派?」 - karotousen58のブログ

 2016年と状況が変わった。私の生活で「猫」を意識することが多くなった。「猫」と直接つきあう機会は、ほとんどないままではあるが。

2016年、私はスマホを使っていなかった。Twitterのアカウントも作っていなかった。しかし、去年スマホを使い始めた。Twitterも始めた。猫カフェも地元にできていた。

スマホを使うようになってから、猫写真撮影を試みることが増えた。犬よりも猫のほうが写真を撮りやすい。Twitterでも、いろいろな猫関連話題がみられる。その中でも、「猫の写真へたくそ選手権」が楽しい。私でも参加可能な話題である。

 

犬の場合、ぼんやり道を歩いているだけでも「流行の犬種」を意識させられてしまう。うちの田舎では、「大型犬や、日本犬以外の中型犬」が激減し「小型犬の多頭飼い」が増えた。レトリーバー系の犬は、「長寿犬表彰を受けそうな犬がほとんど」といった感じだ。猫の場合、猫の種類を意識することはあまりない。「(うちの近所では)シャム猫が減った」ことは気になるが。

猫の写真は、撮った後も結構楽しめる。種類を意識しないで撮った後、「こういうしっぽだったのか」とか「こういう毛の色だったのか」とか「こういう場所で撮ったんだな」とか、いろいろな思いが浮かんでしまう。

私が気に入っているしっぽ写真は、次の3枚である。どれも、「猫の写真へたくそ選手権」用の写真である。

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大学入学試験と資格試験、勉強法が微妙に違うかも

20世紀末に、宅地建物取引主任者(注  現在の名称は宅地建物取引士)の資格試験を受けて合格した。その後、管理業務主任者(マンション管理関係の資格)とマンション管理士の試験に合格した。それぞれ受験1回(学習期間は1年間)で合格した。
この記事では、以降、宅地建物取引主任者(宅地建物取引士)の資格試験を「宅建試験」と表記する。
これらの不動産関連試験は、私にとって、「大学入学試験の勉強法」を振り返って考えさせるものになった。
この記事では、「自分の置かれている立場などによって、勉強方法が変わってくることもあるんだな」とか「過去に受けた大学入試の経験、案外、資格試験でも生きてくる面があるんだな」とか思ったことについて書く。
(なお、宅建試験は今では、私が受けた頃よりもだいぶ難しくなっているようだ。過去に私がやったような勉強法では通用しないかもしれない。管理業務主任者試験とマンション管理士は、初期の資格試験を受験。つまり、今より合格しやすい状況だった。)

  • 「(私が高校生だった当時)予備校のない鳥取県での、大学受験勉強」と「資格学校に自分がアクセスできる(とはいっても、通学ではなく通信教育だが)、資格試験勉強」
  • 「大学受験での、学校と自分との関係性」と「資格試験でのそれ」
    といったところで、特に大きな違いを感じた。


私の住んでいる田舎には資格学校の類はない。宅建に関しては「地元のカルチャースクールで開催の宅建講座」はあったが(因みに、現在はこの講座はない)。この宅建講座を受講した。1年間の講座だった。
20世紀末の宅建試験は、次のようなことが巷では言われていた。今では、これらの発言を真に受けたら危ないと思う。

  • (50点満点の)35点以上取ったら合格。
  • 宅建は資格学校を使うレベルの試験ではない。資格学校利用は、宅建合格後にやること。司法書士とか土地家屋調査士とか不動産鑑定士とかの試験用に。
  • 40点以上を狙うのは、要領が悪すぎる。高得点を狙うより、次の資格試験に備えろ。

管理業務主任者試験とマンション管理士の資格試験では、大手資格学校の通信講座を受講した。通信講座では、「学校が行う直前講習」の通信講座も受講した。通信講座では、講義内容を録音したカセットテープ(たぶん、今は違うものになっているだろう)と講義での板書内容が書かれたプリントも送られた。
正直なところ、「田舎のカルチャースクールでの講座」と「大手資格学校」は、やはり違うと思った。後者の通信教育のほうがずっといいと思った。

 

前置きが長くなった。ここから「勉強法の微妙な違い」「勉強法の似ている点」について書く。

微妙な違い

  • どの学校にするか。どの講座(レギュラーの講座、直前講習など)を受講するか。それらが資格試験では特に重要。田舎の自称進学校での大学入試では、選択の余地がないが。
  • 学校内で、講師や他の受講生との関係性をどのようにしていくか。資格試験では、結構この「関係性」が及ぼす影響大。
  • 「予備校のない鳥取県での、大学受験勉強」では、高校教師がいろいろと勉強方法に干渉してくる場合あり。しかし、資格学校ではそれらの干渉はほとんどない。自分の置かれた環境に合った勉強法でやっていくことが大切。

似ている点

  • 模試を上手に使うことが大切。
  • 過去問研究が大切。
  • 棒暗記に走った勉強では通用しない。できるだけ、「理解を伴った暗記」に近づける。
  • 短期間での追い込みが効きやすい科目かどうか、要チェック。効きにくいタイプの科目は、少しずつでも早いうちから取り組む必要あり。
  • 全範囲をひととおり勉強しておく必要あり。「最初のほうの単元では正答率が高いのだが、後のほうの単元はほとんどノータッチ状態」で本番をむかえるのはまずい。

 

学校や講座の選び方も、勉強法のうちの1つだと思う。
「ナマ講義かビデオ講義か、受講人数がどのくらいか」という観点から考える人もいるかもしれない。「ナマ講義で少人数だったらベスト」と思われるかもしれない。しかし、これは一歩間違えれば危ない。
私が受講した田舎の文化センターでの宅建講座は、受講生が7人だった。講義はビデオ講義ではなく、講師のナマ講義だった。「最高の環境じゃないか。よかったね。」「わからないことがあっても、気軽にすぐに質問できるね」といろいろな人から言われた。「実は最悪の環境だったぞ、これは」が私の正直な感想である。
表現を変えると、「こういう学校には要注意」ということにもなる。

文化センター講座の実態

  • 「年間の講義計画」の類が配布されない。
  • 9月以降でも問題演習をやらない。(試験は10月中旬。講義計画が配布されていたら、事前に対策を考えることもできるのだが。)。「法律が変わったから演習問題が配れない」というのが、講師側の言い分だった。
  • テキストと過去問集が配られたが、それらが使いにくいシロモノ。テキストには索引がなく、目次が使いやすいわけでもなく、練習問題もごくわずか(章末問題が1,2題あるだけ。しかも解説なし。)。過去問集も、解説とテキストとがつながっていなかった。
  • 他の受講生の態度にも問題あり(後で詳しく書く)。

通信教育を受講した大手資格学校では、レギュラーの講座以外にも、ときどき「短期講座」を開催していた。「法律改正点に関する特別講習」「直前講習」があった。直前講習は、通信講座の受講もできた。
これらの「短期講習」、実は重視すべきだと思う。直前講習を受ける時期となれば、「自分の苦手な分野」に意識が向くようになる。「意識が向いた状態での受講」は、「漠然とスケジュールをこなす受講」とはやはり違ってくる。

 

「講師や他の受講生との関係性」について書く。これも「勉強法」の1つになりうると思う。
学校に通って講義を受講するメリットの一つとして、「つらい勉強でも、同じ目標を持った仲間と助け合ったらやりやすくなる」といったことがよく言われる。
しかし、受講生の全員が、必ずしも良い人とは限らない。「他人に干渉したがる、ベテラン受講生」が一緒に受講しているケースもある。
こういうケースでは、「ナマ講義で少人数」はとんでもない環境となってしまう。
文化センター講座では、この「他人に干渉したがる、ベテラン受講生」がいた。
そのベテラン受講生が、高度な質問や他の単元の質問をして、講義を中断させることが度々あった。それだけではない。「夏炉冬扇さん、あんたは全然質問しないじゃないの。そんな態度でいいの? 」とか「夏炉冬扇さん、きれいな字でノートとらなきゃ。やる気あるの? 」とか絡まれた。
「ある程度の内容理解が進まないと、質問なんてできねーよ」「他人のノートなんて、どうだっていいだろ」が私の本心だった。
他の受講生にも問題を感じた。「試験勉強の中身よりも、講師に気に入られることが目標になってんじゃねーの?」と、正直なところ思った。
「4択のマークシート方式だから楽」「模試なんて時間の無駄、先生の講義をきいていればよい」「実務経験が邪魔になって間違える。夏炉冬扇さんは経験なくていいねえ」「夏炉冬扇さんは若いから、暗記ができるでしょう」などと、他の受講生から言われた。「自分が勉強して、合格する」というよりも、「先生様のありがたい講義が、合格に導いてくださる」という姿勢なのでは? と思った。
宅建受験のときに、市販されている合格体験記を読んだことがある。その中に、70歳の人の体験記があった。次のようなことが書かれていた。
「カラフルなペンを使ったり、休んでも後で講義のビデオをみることができる。昔とは違って新鮮で楽しい。」「若い人とお話ができてうれしい。」
この体験記を読んで、「合格する人は、やはりこういう態度をごく自然に取っておられるんだな」と思った。
つまり、「助け合って勉強できる」関係性を作っていくことも勉強法の1つだと思う。

  

模試は、複数受けたほうがいい。問題や解説が、学校によって微妙な違いあり。 
模試を受けて、解説解答を読んで勉強すると(←ここ重要)、「勘違いしていたところや、わかっていないのにわかったつもりでいたこと」がはっきりしてくる。


私の受けた宅建試験では、「権利関係」「宅建業法」「法令上の制限」「税法その他」という分野の出題がなされていた。
「権利関係」は直前の追い込みが効かないから、早いうちから勉強を始める必要がある。点の取りにくい科目だが、正解がわからなくても、何とかして3択や2択に持っていく粘りが必要である。
宅建業法」はやさしい科目といわれていた。しかし、これは勉強が進んだ人によるコメントだと思う。私の場合、始めたころは、「業者と主任者(注 当時の名称)を混同」したり「遅滞なく、速やかに、2週間以内、などいろいろあって混乱」した。「やさしいなんて嘘だ」と思った。
「業者と主任者」「35条書面と37条書面」など、「似ている点と違う点」を意識して勉強するほうがいいと思う。
「法令上の制限」は、最初、とっつきにくい分野だと思った。しかし、この分野は直前の追い込みが効きやすいと思う。
「税法その他」は、独学者にとっては一番勉強しにくい分野。この分野と法律改正点は、良い学校の短期講座受講が望ましい。

全分野に共通することとして、

  • 4択問題だが、全ての選択肢について内容を吟味する必要あり。
  • 出てきた法律の制度趣旨が何なのか? 法律によって誰をどのように護るのか? といったことを考えて勉強するほうがいいと思う。
  • 専門用語も意識すること。『生活笑百科』の類のTV番組や『14歳の法律相談所』(新風舎 残念ながら絶版)の類の本をぼんやり見るだけでも、感触が変わってくる。
  • 試験は4択。「正しいものを選べ」「間違ったものを選べ」というタイプの出題。つまり、選択肢の中には「内容的には間違っているもの」も存在。間違った内容を覚えてしまったらいけないから、「内容的には間違っているもの」を「正しい内容に変えたらどうなるか? 」を意識したほうがいいと思う。
  • 直前1週間では、テキスト全体を5回通して読むこと。全体を通して読むと、新たな発見があるかも(私の場合はあった)。

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(少なくとも私のような人間には)おすすめできない勉強法

「私が子供だった頃、身近にいた大人は次のような「勉強観」をお持ちになっていたのでは? 」と思えて仕方がない。暗記下手で見栄えのしないノートしか作れなかった私は、「勉強する気ゼロの悪い子」とよく言われたものだ。

  • 結果が全て。いくら「今までがんばってきた」なんて言っても、結果が悪ければただの「負け犬の遠吠え」。
  • 学力=記憶力。暗記のできない人は頭の悪い人。
  • とにかく量をこなすのが勉強だ。かけた時間によって点数が変わる。
  • 「書いて覚えること」が勉強。きちんとした内容のことを書き写さないと、覚えられない。子供のいたずら書きみたいなノートじゃだめ。 

高校時代、私は「田舎の公立自称進学校」に通っていた。この高校でも、これらの「勉強観」が支配する空気があった(と私は思っている)。
これらの「勉強観」、実は「骨折り損のくたびれ儲け」的な結果を呼ぶ危険性があるのでは? そして、これらの「勉強観」と結びついた「勉強法」が推奨されているケースもあるのでは? と私は疑っている。
今回は、私が過去に年長者から推奨された勉強法のうちで、「骨折り損のくたびれ儲け的方法が匂うぞ」と思ったものを書いていく。×印を付けて表現し、私の本音をその後に書いた。


 ×英語や古典では、教科書の文章をノートに書き写せ。そうしてから、予習復習や授業の内容をノートに書け。定期的にノート提出させて、点数化して評価する。
本音
ノートに書き写すと、それなりに時間を取られるぞ。しかも、「写し間違い」をする場合だってある。書き写す時間を、「文章に接する時間」として充てたほうがよさそうだぞ。
書き写すよりも、拡大コピーを取ったほうがいいと思う。拡大コピーだと行間も拡大されるから、書き込みもやりやすくなる。勿論、「書き込みのない原文」も確保することが必要。最終的には、「書き込みに頼らないで、学習内容を把握」が必要だから。
とは言っても、「学校の方針」がこれだと反抗困難なんだよな……


 ×英語はとにかく、教科書丸暗記だ。つべこべ言わずに覚えろ。
本音
確かに、公立中学英語教科書なら有効かもしれない。しかし、高校だと分量的に苦しい。また、「テキストや範囲の決まった定期テスト」以外で通用するか? という疑問あり。「つべこべ言わず覚えろ」が「理解の伴わない暗記」となってしまったら、通用しなくなる危険性があるぞ。
私は、「この暗唱用例文の学習ポイントは何であるか? (例 discussは他動詞。discuss about とはなっていない 等)」を意識しないと暗唱できない、暗記下手の人間だ。学習ポイントをはっきりさせないで「覚えろ」と迫る態度には疑問あり。
とはいえ、生徒の立場じゃ、これを言えないんだよな……


×数学の点数は、解いた問題と暗記した解法の量で決まる。学校指定の教材(私の場合は、いわゆる青チャートだった)は、全問解け。解き方を忘れたら、再び解き方を覚えるようにしろ。
本音
青チャート、例題だけでも結構ボリュームあるぞ。例題以外の練習問題って、解説も寂しいしさ。例題だけでも「じっくり考えて」解くほうがいいと思うぞ。
「解法丸暗記」だけだと、他の問題になったら行き詰る危険性あり。第一、勉強していても面白くない。「この例題で、何を学び取ればよいのか」「式のつながりは、こうなっているのか」「問題文から、何を読み取るのか」「解法が複数あるが、(この問題の場合は)どの解法がすぐれているのか考える」といったこともやる必要あり。
とはいえ、学校側が「テスト漬け方針」を取るから、この方法も取りにくくなるんだよな……


 ×学校指定の教材以外は手を付けるな。市販のサブノート使用なんて、手抜き勉強。自分でノート作りをしなきゃダメ。教科書ガイドの類も、怠け者が使う物。そんなものは使うな。
本音
学校指定の教材、問題を集めただけで解説のない、文字通りの問題「集」もたくさんあるんだよな。こういうタイプの教材、下手すりゃ「時間泥棒」にしかならないぞ。
特に、物理の教材が酷かった。学校から指定されていた教科書傍用問題集、解説がほとんどない。載っている問題も、「計算練習が目的か? 」 という感じだった。
この種の教材に深入りするよりも、「公式とよばれているものが、なぜこの問題に適用できるのか」等を考えながら、良問をじっくり解いていくほうがよさそうだぞ。
「じっくり考える時間を捻出」するために、教科書ガイドの類や市販教材の利用も要検討では? (苦手な科目の勉強、体調を崩してしまったとき等)。


×(注 私は共通一次世代の人間)選択科目は、点数を稼げそうなものにしろ。物理や日本史は避けろ。歴史よりも地理のほうが楽。歴史で私大文系受験よりも、地理で共通一次を受けるほうが楽。
本音
私は日本史を選択しなかった(授業では地理と世界史を選択。倫理社会と政治経済は必修科目だった。)。だから、日本史についてはコメントできない。ただ、日本史の教科書と資料集が、地理や世界史のそれよりも厚かったのを覚えている。
物理は、「実力がつくまでに時間がかかる科目」だと思う。しかし、「低迷の時期が長く続いていたが、ある日突然、手ごたえを感じた」というコメントもよく聞く科目である。「現役時代は偏差値30だったのが、一浪して70まで伸びた」というコメント、物理ならありうる。学校側にしてみれば、「ギャンブル的で嫌」ということなのだろうな。
「外国語系学部志望の生徒が、世界史を勉強しない」「化学系志望の生徒が、物理を選択しない」といった類の話、この自称進学校ではザラだった。可能性を狭めるのみならず、「おいおい、ほんとうにそんな態度でいいのかよ?」という疑問がある。

 

最初に述べた「勉強観」を意識するようになったのは、私が大学に入ってからである。教官や他の学生から、「何それ? 」というコメントがあって意識するようになった。
大人になってから、資格学校に通って資格試験の勉強をした。そのとき再度、最初に述べた「勉強観」を感じた。
「骨折り損のくたびれ儲け的方法」という厳しい表現を使ったが、そう感じるのは私のようなタイプの人だけかもしれない。「暗記をすることが楽しい」という人とか、おそらくいろいろな人がいるのだろう。
この「勉強観」との相性の良し悪しを考えて、自分に合った勉強法を模索すること。これは結構大切なことかもしれない。

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図を書いて考えましょう

 

小堤中納言 on Twitter: "禁止されている学校多数 の悪寒 https://t.co/8ZMjaXSMpK"

地元公立小5の時(1975年)、算数文章題を、図に書いて解いていた。ノートの図を担任が見て、「幼稚」と激怒。親も同調。当時愛読の学年雑誌に「図で考えよう」という記事があり、それを信じて助かった。

2019/12/10 01:50

 

 ずっと、「文章題で図を書かせないのは、当時の担任と私の親ぐらいだろう」と漠然と思っていた。ところが、ブクマ元にある一連のツイートを見て吃驚。「ひょっとしたら、私が過去に受けた仕打ち、受けた人は意外と多いのかもしれない」と思った。

私が大人になってから、「宅建」という資格試験を受けた。宅建試験科目の一つに「権利関係」というものがある。この科目で、「図を書いて考える」習慣がついていたことが役立った。資格学校に通っていたのだが、講師からも「図を書いたらわかりやすくなる」という助言があった。

当時、受講生のうちの一人が、講師のいないところで自慢げに語っていた。「いちいち図なんか書かなくても解ける。時間がもったいない。」と。それを聞いて私は驚いた。もっとも、その受講生は5年連続で不合格となったようだが。

今思うに、ひょっとしたらこの受講生も、似たような経験があったのかもしれない。

 

算数で、(計算問題ではなく)「文章題」を私が意識するようになったのは、確か小3あたりが最初だったと思う。「単純な計算問題よりも、少し面倒」という感覚があった。

小学生の頃、「〇年の科学」「〇年の学習」という学年別雑誌が学研から出ていた。私はそれらの雑誌が大好きだった。確か、「3年の学習」に出ていた記事だったと思う。「文章を読むだけではうまく解けなかった問題でも、図を書いてみたら考えやすくなることがあるんだよ」という内容の記事があった。楽しい記事で、強く印象に残っている。

「この記事がなかったら、私は簡単に理数系を捨てていたかもしれない。理数系を好きになれなかったかもしれない。」という思いを、20代の頃あたりからずっと私は持っている。

「図を書かないで解こうとする」ことと「図を書いて考える」こと、確かに違う。記事を初めて読んだ当時、子供心にも思った。

また、この記事は「図を書くということじたいも、楽しいよ」というトーンだった。後にいろいろな問題を解いていくときも、そのことを実感した。

 

担任や親が激怒した原因、実は、もう1つあると思う。それは、「大人から見て、見た目がよくない図、冴えない図」だったことだと思う。

過去に何度か書いているが、私は実技教科の成績が全部ビリだ。当然、絵も、冴えないものしかかけない。担任や親にしてみれば、たぶん見ていられないできばえだったのだろう。

激怒されたとき、怒られた原因として「図を書くこと自体が悪い」「図が下手くそすぎるから悪い」の2通りが私の頭に浮かんだ。幸か不幸か、私は絵が下手すぎた。下手すぎたがために、2番目の理由も頭に浮かんだ。

もしも私の絵が上手だったら、「図を書くこと」じたいが悪いと誤解したかもしれない。変な話だが。

 

担任と親からは激怒された。しかし、「大好きな雑誌に出ていた、大好きな記事」では、「図を書いて考えるのは、楽しいし大切なことだよ」となっていた。

「大好きな雑誌、大好きな記事」だったから、担任や親の反応よりもそちらを信じた。「見つかったら怒られる」ことが予想できたから、「問題を解き終わったら、すぐに図を消す」ことにした。

こうして、「図を書いて考える」ことは、「ほとんど意識しない習慣」のようなものになっていた。

 

大学に入ってから、家庭教師のバイトを何回かやったことがある。バイト先では、「図を書いて考える」ということを教わらなかったのでは? と思われる子供続出だった。

「図なんていちいち書くのは面倒」ではなく、「図を書く」「(文章だけでは)わかりにくいから、解きやすくするための手がかりを探す」ということすら頭の中にないのでは? という感じだった。

そして、「子供の頃に読んだあの記事がなかったら、私の人生は全く違うものになっていたんじゃなかろうか。理数系を嫌いになっていたのではなかろうか。あの記事に関係してくださった方々には大感謝だ。『たった1つの記事』が大きく明暗を分けているかもしれないとは、不思議なものだ。」と思った。

 

学生生活が終わった後、「他の大人が、子供に算数文章題の勉強を教えている光景」にも何度か出くわした。ネット上でもリアルでも。

「このように文章で書かれていたら、引き算を使うのだよ」といったような教え方をしているケースが、少なからずあった。しかも、「図を書く」ということもなされない状態で。

この指導法に、私は驚いた。「この方法だと、少しひねった問題とか他単元との総合問題になったら、行き詰る危険性があるぞ。」と思った。

そういえば、学生時代に、数学や物理や化学の試験勉強で、「どの公式を使うの?」「何か公式があるのですか?」という訊き方をされたことが何度かある。そして、その質問に戸惑ったものだった。

「どの公式を使えばよいのかわからない」というより、「条件に合うように式を立てるのが、難しい」という感覚が、私にはあった。図を書くことが、条件を整理することにつながっていたのかもしれない。

 

そして、

 も思い出した。ひょっとしたらこの「数量感覚」も、「図を書いて考えること」とつながっているのかもしれない。

 

親御さんをはじめとした、いろいろな方にお願いです。子供が問題を解く際に図を書いて考えていたら、それがどんなに冴えないものに見えたとしても貶さないでほしいです。

ひょっとしたら、「図を書くことが、センスを磨くことにつながる」のかもしれません。また、つながらないにしても、「図を書くことじたいが楽しい」という子供もいるのかもしれません。少なくとも私はそうでした。

大好きな雑誌に出ていた大好きな記事が、「楽しいことや好きなことを失わなかった幸運」につながった。このことを私は忘れない。

成長・同化・逸脱

今週のお題「〇〇の成長」

 

「成長」という言葉に胡散臭さを感じてしまうことが、私には時々ある。

発達障害啓発活動の類に接したとき」に、特に強く感じてしまう。

10年以上前に私は、成人発達障害関連自助会に何度か参加したことがある。自助会には、「発達障害者が身近にいる、非発達障害者」も数名参加していた。

自助会で発達障害者が、「自分の取ったこういう行動は、間違いでした。これからは、やらないようにします。」といった発言をすることが何度かあった。その発言のたびに、参加していた非発達障害者が次のコメントをしていた。

「そう、よく気づきましたね。ひとつ賢くなりましたね。賢くなって成長するよう頑張りましょう。」という類のコメントを。

正直なところ、それらのコメントが私には気持ち悪かった。確かに、「成長」といえる内容の発言もゼロというわけではなかった。しかし、私の頭の中には次の疑問が湧くことも多々あった。

「それ、本当に成長? 『同化』というヤツなのでは?」

「本人にとっての『成長』が、『逸脱』と勝手に決めつけらることもありうるぞ」

 

創作した具体例をあげてみる。「創作」と書いたが、このようなトーンでの発言が実際になされていた自助会だった。

例1

ある発達障害者が、「最近、主治医から聞いてうれしかった言葉」として発言。

発達障害者にしては、あなたは社会によく適応できています。『長い物には巻かれろ』という言葉の意味を、あなたがわかっていることが大きいです。」

この発言に対して、賛同コメント続出。「長い物には巻かれろ、大切なことですね」という空気が作られた。これに対して疑問を持った私。正直にコメントしたら、「逆張り思考がかっこいいと思ってるんでしょ、痛い人。成長しなきゃいけませんよ。」発言続出。

例2

「職場を解雇され(注 発言内容から考えるに、不当解雇も疑われる案件)、自分が発達障害ではないか?と思って」自助会に初参加した人がいた。その人の発言。

発達障害的なところがあるから務まらなかったのだと思います。発達障害を克服しないと職に就けないんじゃないかと思います。頑張ります。」

この発言に対して、「よく気づきましたね。決心できたのは立派です。一緒に頑張りましょう。」コメント続出。「不当解雇などにあたらないか、という角度からも検討が必要では?」と私がコメントしたら、「権利ばかり主張する痛い人」発言続出。

 

発達障害啓発キャンペーン、発達障害自助会、発達障害関連サイトやブログ、SNS」では、「成長」という言葉がどのように使われるか? 

  • 発達障害者の言動に、変容があった」と、「誰か」がみなす。
  • 「その変容は、好ましいものである」と、「誰か」がみなす。
  • その「変容」には、「『誰か』による、発達障害者への『見方』」を含めた「変容」が反映されているのか否か? 不明な状態。

「誰か」に該当するのはほとんどの場合、「発達障害者を観察する、非発達障害者」である。

「非発達障害者=支援する人、発達障害者=支援される人」認識。成長の度合いを、発達障害者本人の「能力の増加や欠如」によって測る。

「周囲の環境に合わせていくこと」を強調する、「同化」。他者との関わり合いを通じて、「自分がどのようにありたいか」を表現したり交渉したりする方向性は、除外。たとえ、その方向性で「本人なりの成長」をしても、単なる「逸脱」と解されてしまう。

 

発達障害者を観察する側が持つ、「発達障害者の行動変容を、解釈する枠組み」。これを含めた関係性のなかで、「成長」が語られない。また、観察「する」側と「される」側が一方的に決められている。私にはそう思えて仕方がない。

発達障害者は逸脱者。そのままだと排除されるだけの人。訓練によって成長(?)した人だけを認める」的な「発達障害啓発活動」と、私には思えて仕方がない。

発達障害「支援」(と呼ばれている)では、「作り笑顔の練習」が時々話題になる。「作り笑顔によって、どのような人間関係を築いていきたいのか」ということが明かされない状態で。

それが明らかにされないままだと、作り笑顔を「どうやって身につけさせるか」「どのような方法が効果的か」、本人に「何ができて、何ができないか」ということのみが、検討されてしまうかもしれない。

 

発達障害者の行動変容を、解釈する枠組み」。これを含めた関係性のなかで、「成長」を捉える。「変容」は、発達障害者本人だけにあるものではない。本人と社会とがぶつかり合いながら、互いに変容し、個人が社会の中で存在していく。

それを踏まえて、「作り笑顔によって、どのような人間関係を築いていきたいのか」ということを話してほしい。

と、過去にネットで発表したら、「余計なことを書くな」と某専門家からメールが来た。

 

発達障害者と「成長」、実は結構デリケートなテーマ。「成長像」が同床異夢状態にある。私も、この記事で書くことをを試みたけど、うまく書けない……

誤解されていた「水晶米」

特別お題キャンペーンの記事では過去に、「お若い人には想像のつかないであろう世界」を書いたことがある。今回も、お若い人を惑わすかもしれない。

平成の米騒動」よりも昔の話。「標準価格米、自主流通米、食糧管理制度、水晶米」という言葉、お若い人にはどの程度通用するのだろうか? 

 

このキャンペーンを知って、私の頭に最初に浮かんだものは「水晶米」という名の米である。1970年代に、うちではこの米を買っていた。

この「水晶米」の味を、私の家族は誤解していた。昭和が終わりかけるまでずっと。「誤解していた」とわかった頃には、水晶米は売られていなかった。「パールライス」という名前に変わっていた。

「水晶米の本当の味、どんな感じだったのだろう? 水晶米さん、家族が変な炊き方をしたために『まずい米』とずっと誤解して、ごめんなさい。」という内容の記事になる。

 

私の母は、機械音痴である。しかも、「説明書を読まない」人でもある。昭和が終わりかけるまでうちでは、この母がトンデモな方法で米を炊いていた。つまり、「水晶米」はトンデモな方法で炊かれていたことになる。

トンデモ故、まずいご飯ができあがる。ところが、遠方の大学進学をきっかけに自炊を始めるまで私は、この「トンデモ飯」のことを変だとは思っていなかった。

では、トンデモな方法とはどんなものか? それは、「米櫃の使い方を誤解する」プラス「洗米してすぐに炊く」という方法だった。

うちで使っていた米櫃は、「1合(150g)、2合(300g)、3合(450g)」の3レバー方式となっていた。レバーのところには、「1.5」と大きく書かれていた。そして、「1.5」の下に少し小さい字で「1合」と書かれていた。他のレバーも同様だった。

母はずっと誤解していた。「1.5合、3合、4.5合」の3レバー方式であると。

1970年代からずっと、こういう状態で米が炊かれていた。このトンデモが発覚したのは、1988年の夏だった。そのとき、私と弟は帰省していた。当時、弟は大学の3回生だった。

「ご飯を3合炊いて」と、私は母から頼まれた。

私は「1.5」レバーと「3.0」レバーを使って3合計量した。洗米後すぐには炊かず、米を水につけておいた。それを見て母が言ったのだ。「何で炊かないのよ」と。

私は答えた。「洗ってすぐに炊いた米じゃおいしくないから」と。すると母が答えた。「言い訳するんじゃありません」と。

そのとき、近くに弟がいた。助かった。弟も言ってくれたのだ。「夏でも30分はつけとかんとまずいよ」と。とりあえず、言い訳ではないということはわかってもらえた。

炊きあがったご飯を見て、母が言った。「このごはん、硬すぎるし量がおかしい。3合と言ったわよ。」と。そこで私は、米櫃のレバー部分に書かれた数字を母に見せた。

今度は母も納得した模様。やりとりを聞いていた弟も、「炊飯器がすぐに壊れて頻繁に買いかえるはずだ、こりゃ」と言った。弟は「高校卒業まで、いろいろな炊飯器を見た」と言った。

もっとも、今の炊飯器では、洗米後すぐに炊いてもおいしいらしいが。

 

九州の大学へ入学(1983年)後、最初の夏休みまでは、鍋でご飯を炊いていた。炊飯器を買う金銭的余裕がなかったからだ。料理本でご飯の炊き方を確認してから、炊いた。「洗米してすぐ炊いたごはんはまずい。夏なら30分以上、冬なら1時間以上(できれば2時間)吸水させてから炊くほうがよい」と、料理本には書かれていた。小学校家庭科の授業でも、そのように習った。米と水の量や吸水時間を料理本と同じようにして、炊いていた。

「あれれ、結構おいしいじゃねーか。安い米を下手な私が炊いているというのに。しかも、私はいわゆる貧乏舌の持ち主なのに。」と思った。

他の人が炊いたごはんを食べることもあった。そのごはんもとてもおいしかった。

「きっと、九州の米は鳥取の米よりもずっとおいしいのだろう。稲は元々熱帯性の植物だし。」「水晶米は、たぶん標準価格米。ひょっとしたら、九州では自主流通米のシェアが高いのかもしれない。」と、ずっと思っていた。「実家で、トンデモな方法でトンデモなまずい飯が炊かれている」とは、夢にも思っていなかった。

 

1970年代と1980年代は、「米の流通」に関して大きな変化があった時期だった。

1942年に食糧管理法が制定され、食糧を政府が管理統制する食糧管理制度が始まった。米価と米流通も、当然対象となっていた。その後、1972年に標準価格米制度が取られた。さらにその後、食糧管理法は1981年に大幅に改正された。

そして、食糧管理法は1995年に廃止。かわりに食糧法制定。食糧管理制度の呼称も食糧制度と改められた。その後、食糧法は2004年に改正された。

食糧管理法の時代には、「標準価格米」なる米と「自主流通米」なる米が流通していた。「標準価格米」は、政府が指導価格を定め、小売業者が扱っていた米」である。「自主流通米」は、価格設定には政府は直接関与せず、市場経済的に価格が決められていた。やはり、自主流通米のほうが高級なものが多かった。

「標準価格米」では、その地方(あるいはその近郊)の米が使われていた。銘柄指定なんてことは論外。

1981年の食糧管理法改正後、米の卸売や小売の営業区域が拡大された。コシヒカリササニシキなどの「米の銘柄」が一般庶民の間でも話題になったのは、法律改正と区域拡大がなされてからのことである。

「うちで食べていた水晶米よりも、九州で売っている標準価格米のほうがおいしい米なのだろう」とか「九州では、自主流通米のシェアが高くて、知らないでそれらを買っているのかも」と私が思ったのは、こういう背景があったからだ。

 

「水晶米」がまともな計量と浸水のもとで炊かれたら、どういう味がしたのだろう? もしもタイムマシンに乗って過去に行けるのなら、実際に炊いて味見をしたい。

 

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一人郷土研究部

今週のお題「部活」

部活動に関しては、トゲのある記事を過去に書いたことがある。

karotousen58.hatenablog.com

今回も、トゲのある記事を書いていく。

青春の思い出を語ろう!「部活」をテーマにブログを書いてみましょう 

ときたか……

「青春」という言葉がここで出てくる。「世間一般で言われている青春」像から外れた年齢の人が入部することは想定されているのだろうか? という意地の悪い疑問が私の頭に浮かんだ。

最近、興味深いコメントをTwitterで見た。コメント・青春・部活 が私の頭の中で変なつながりを持ってしまった。 

現在の一般的な校則では、40代のおばさんの高校入学には大きな壁があるという結論に達しました

でもっって、40代のおばさんが入学してきても無理なく過ごせる校則にすると、若者にも優しいんじゃないかという話になりました。

そうだな。「高校生なら10代後半だな」という発想から自由になったほうが、いろいろと面白いかもしれない。「校則」を「部活動に対する、教育的に過剰なイメージ」に変えたくなる。

私は、「学校の部活動には『家庭の文化資本社会関係資本』めいたものを露にする面があるのでは? うちはどちらの資本も乏しすぎる。」という思いもずっと抱えている。10代の頃も、子供心にも漠然と思っていた。

 「普通科を卒業すれば、工業科等なら入学出来ます、が。」というツイートもあったが、私の生活圏の場合、詳細がわからなかった。

もしも私が今、実業高校に入学(私は公立普通科高校卒)して部活動をやるとしたら、どういう活動を考えるだろう? 最初に頭に浮かんだのは郷土研究部。次は園芸部。その次は(一人)イージーリスニング研究部。最後に浮かんだヤツに至っては、たぶんイミフとしか思われないだろう。

そういえば、郷土研究部、園芸部、(一人)イージーリスニング研究部のどれも、リアルの高校時代に、ある種の接点があった。思い出した。

郷土研究部

 私は中学卒業まで、居住地の校区内と市の中心部以外に出かける機会がほとんどなかった。それらから外れた地名を意識することは、ほとんどなかった。

高校入学後、「生徒名簿」なるものを配られた。名前や住所などが出ていた。違う中学の出身者だと、住所のところに出てくる地名が「初めて見聞きするもの」であるケースがほとんどだった。「これ、どこだ? どんなところなのか調べてみたい。」などと思い、市街地図を買って、休日に自転車で行くようになった。市街地図の「図面外」となっている地名もたくさんあった。

中学卒業までは「面白いものなんか何もない地元」と思っていた。しかし、「知らない町を探検」というノリで動いてみると、記念碑とか結構あるものだとわかった。

このとき、「郷土研究部って、どうだろう?」と思った。が、ほとんど同時に次のことも頭に浮かんでしまった。

「郷土研究部の人って、どういう動機で入部したのだろう? 地元を『研究の対象』とする発想が、どこから湧き出たのだろう? やはり、いろいろな所へ旅行に行くような家庭とか、歴史や文化の知識を持った家族のいる家庭の人なんだろうな。そういう文化のない私だと、たぶん浮いてしまうな。」

結局、高校時代は「一人郷土研究部」活動で終わった。

園芸部

出身中学に園芸部があったか否か、よくわからない。出身高校にはなかった。

しかし、昭和50年代の漫画には「園芸部」という部活動がちょくちょく出ていた。高校に入学したばかりの頃、「園芸部って、どんな感じなんだろう?」と思った。

しかし、私の身近には園芸をやっている人がいない。知識がない状態で「園芸部をつくりたい」などとは言えなかった。

大学入学以降も、リアルで「学校では園芸部員でした」という声を私は聞いたことがない。「面白そう」という思いと「本当に存在するのだろうか?」という思いが、私の中で同居している部活である。

(一人)イージーリスニング研究部

昭和50年代、イージーリスニングブームなるものがあった(らしい)。私が中学校に入学したのは1977(昭和52)年。当時、地方公立中学生の間では、「ラジオの深夜放送を聞くこと」が社交常識となっていた。また、(特に女子生徒の間で)「歌謡曲のベストテン番組」の類を見ることも社交常識となっていた。

ラジオの深夜放送で、偶然イージーリスニングを知った。気に入った。ラジオFM放送の番組表を見て、関連番組を探して聴いた。

謡曲のベストテン番組は、私にとってはつまらない番組だった。しかし、当時、学校内で行われる行事はしばしば、「ベストテン番組に出てくる歌」を歌う展開になっていた。「歌を知らない」などと言おうものなら、「ガリ勉」と罵られた。だから、その種の番組は、「浮世の義理」として見ていた。

こういう学校文化の下では、「イージーリスニングが好き」などとは外部には言いづらい。当時の私には、同好の士がいるとは思えなかった。「イージーリスニング部がないから、同好会を作ります」などという発想は、当然持てない。だから、「一人イージーリスニング研究部」活動で終わった。

大学に入ってから、同好の士がいることがわかった。「150人に1人」程度の割合で見つかった。その後、ネットを使うようになってから意外なことがわかる。ネット上では、「実はイージーリスニングが好き。同好の士はなかなか見つからない。」とカミングアウトする人が結構いた。

ひょっとしたら、高校時代にも身近に「隠れイージーリスナー」がいたのかもしれない。

トゲのある過去記事でも書いたが、「帰宅部の子は無気力で魅力のない子」的な物言いを、中高時代に私はしょっちゅうなされていた。部活動を楽しめない自分は、おかしいのだと思っていた。

しかし、こうしてみると、「『一人部活動』というヤツを、当時の私は結構楽しんでいたんだな」と思う。